マーキュリー・モントレークーペだそうです。何とも旧いチョイスですが ..
(写真09-2a) 1952 Connaught A4 (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
この車もエンジンはリー・フランシスの1.8リッターが使われている。「Aタイプ」は「F2」だが、ドライバーズ・チャンピオンシップの対象で、若き日のスターリング・モスもこの車をドライブしている。
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4気筒1500cc クラスのスポーツカーは2台造られ、この車もスターリング・モスがドライブしている。小メーカーの造った車にしてはどこにも破たんのないよくまとまったスタイルだ。
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「コンノート」という名前は日本では殆ど知る人がない。もし知っているとすれば1950年代の「F1」に興味のある人か、ミニチュアカーのコレクターくらいだろう。第2次大戦後1940年代の英国は緊縮財政を敷いていたから物資が欠乏し、車を売りたくても売る車がないような状態だった。コンノートはF1活動を始める前の1948年、「リー・フランシス」をベースにしたスポーツカー「L2」を6台作っている。F1(F2)には1952年から59年まで活動し最高位は1956年イタリアGPの3位止まりだが、小規模コンストラクターとしてマセラティーなどの大メーカーと互角?に戦ったから、イギリスでは人気が高かった。(ノンタイトルではGPで1度だけ優勝している)
これを忘れていた!映画「コブラ」のマーキュリー!車もスタローンも両方カッコいい! #好きな劇中車.
(写真09-6ab) 1955 Connaught B F1 The Siracusa (2007-06 英国国立自動車博物館)
この車を造ったアイゼンハス・ホースレス・ヴィークル社という会社は1904年から1908年まで5年間しか存在しなかった殆ど知られないメーカーだが、1つだけ面白い仕掛けがあるので取り上げた。それは搭載されていた3気筒エンジンで、3気筒が珍しいのではなく、内2気筒が4ストローク(101.6×101.6)、残りの1気筒は2ストローク(177.8×101.6)という組み合わせになっている。4ストローク側の排気はそのまま2ストロークの吸気となり、燃焼効率の悪い排ガスは点火すれば再燃焼するので多少の馬力向上となる。また4ストロークの爆発のインターバルに2ストロークはもう1度爆発しエンジンの回転もよりスムースになる、しかも再燃焼は結果的には排ガスの浄化にも貢献する、とここまで考えていたかは判らないがとにかく面白い発想だ。
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クーガーの嫁さんの車・アメ車夫婦・車好き女子・クーパーコブラ・アメリカンレーシングに関するカスタム事例
アメリカのフォード社は1950年代初めには各国にフォードを名乗る独立した子会社を持っていた。「イギリス・フォード」、「ドイツ・フォード」「フランス・フォード」などでそれぞれが本社の影響を受けつつも、独自に開発したモデルを製造していた。(日本フォードは組み立て工場で独自のモデルはなかった)この車は今回確認するまではマーキュリー・コメットのカスタム・ボディだと勘違いしていた。しかし実は今は亡きフランス・フォード(1958年以降シムカとなる)の「ヴデット」をベースにしたヴァリエーションだった。
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BタイプのF1バージョンが「4シリーズ」で、この車がイギリスで注目されるのは
トニー・ブルックスという歯科医を目指す若い新人ドライバーがマセラティを抑えて堂々優勝してしまったからだ。この年のグランプリ・タイトル戦に「コンノート」は第6戦「イギリスGP」に2台出走したが完走できなかった。最終第7戦が9月11日で終わり、そのあと10月23日シチリア島で開かれた「シラクーザGP」はノンタイトルではあったが、突然優勝が転がり込み、ここ数年啼かず飛ばずのイギリス・レーシング界にとっては、大相撲で日本人が優勝したような久々の大快挙だったに違いない。それを記念してこの車は「ザ・シラクーザ」と呼ばれる。
映画や車を通して聴こえてくるHeart Warmな想いをShort storyで.
アメリカ車の通例として毎年モデルチェンジが行われ、この年からフルサイズ・モデルとは全く関係ない独自のグリル・デザインが与えられた。場所は虎の門の交差点近くにあったフォード系ディーラー「ニューエンパイア・モータース」の前で、リンカーン、マーキュリー、フォードの看板が見えるが、ここでは最新モデルが見られるので土曜日の午後仕事が終わってからよく足を運んだ場所だ。(僕が現役だったころは週休2日制になる前で、土曜日は半日仕事をしていた。)
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1960年誕生したてのマーキュリー版コンパクトカー「コメット」で、エンジンの6気筒 2364cc は、フルサイズのマーキュリー・モンテレー5110cc、モントクレア7043ccに較べれば、半分以下、1/3以下なのでアメリカとしてはずいぶん小さいと感じる排気量だ。ホイールベースの114インチは約3010ミリで、初代トヨペットクラウンの2530ミリに較べればかなり大きい。生まれたての「コメット」のグリルはフルサイズの凹型曲面モチーフから転用したものだ。場所は虎の門病院の前で、隣がアメリカ大使館なので最新のアメリカ車を見つけるには絶好の場所だった。
よりシンプルなトリムを採用し、バンパー内に水平に配置されました (フルサイズのマーキュリー車に合わせて)。
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(3)<コメット> (米・マーキュリー)1960~
1903年に創立されたフォード・モーター社のラインアップは1960年時点では上から「リンカーン」「マーキュリー」「フォード」となっていた。創立者のヘンリー・フォードは頑固に実用一点張りでT型を造り続けて来たが、1922年息子のエドセルの意見を入れて高級車「リンカーン」を買収し、高級車と大衆車の2本立てとなった。しかし1930年代になるとライバルのGMは「ビュイック」「オールズモビル」「ポンティアック」、クライスラーは「デソート」「ダッジ」、その他独立系でも「ナッシュ」、「ハドソン」、「スチュードベーカー」など、中級車クラスが市場を占める割合が大きくなった。出遅れたフォードには追いつくために適当な買収先が見つからなかったのか、1938年新しく創設されたのが「マーキュリー」で、戦後の1949 年専用のボディが提供されるまではフォードと同じスタイルに一回り大きいエンジンを積んだものだった。しかし1950年代に入ると大型高級化が進み、大衆車フォードの兄貴分だったマーキュリーはいつの間にか高級車リンカーンの弟分と化した。1960年前後になると大きくなりすぎたことへの反省から各社から1930年代に近いサイズに小型化された、いわゆる「コンパクトカー」が発売され、フォードは1959年から「ファルコン」が投入され、翌1960年からマーキュリー」には「コメット」が誕生した。
マーキュリーは、全ての中古車が安心で高品質。全車1年から5 ..
内外装はきれいにレストアするのではなく、歴史を感じさせるようにあえてサビや古臭さを残してあります。
その古臭さと最新のパワートレインとのギャップが、この車の最大の魅力でしょう。
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ノーマルのムスタングは200hp/4400rpmだが、シェルビー・マスタングは同じ排気量から306hp/6000rpmを絞り出している。写真の車の外見は殆どノーマルと同じように見えるがボンネットサイドに「GT350」と入っており、中身は凄いことを割と控えめに主張しているが、この年はどこにも「コブラ」のネームは入っていない。
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(7)<リンカーン・コンチネンタル>(米)
「コンチネンタル」という言葉は、島国イギリスから見たヨーロッパ大陸のことだが、自動車に関しては、広いヨーロッパ大陸を高速で走るという意味で、現代の「GTカー(グランド・ツーリングカー)」と同じように考えられる。もともとは1931年頃ロールスロイス・ファンタムⅡの圧縮比を高め、大径ジェットをもったキャブレターで軽くチューニングされた大陸旅行用の車に付けられた名前で、これが後年エドセル・フォードによってデザインされたリンカーン・ゼファーのスペシャル・ボディに付けられ、ついにはシリーズ名として正式に採用されることになる。
1990年 コンテンポラリー コブラ427 好調 極上車, 売約済, 北関東
(1-4)<フォード版 ムスタングGT・シェルビー・コブラ>(1966-70)フォードからエンジンの提供を受けているシェルビーは1965年から「フォ-ド・ムスタング」のハイパフォーマンス版の開発を委託され1966 年「GT350」シリーズを完成させ、67年から「GT500」が加わった。当初は「289」キュービック・インチだったエンジンは67年「390」、68年には「428」が登場した。これらの一連のムスタング・シリーズは「シェルビー」の名は付いているが製造も販売もフォードが行っており、ムスタングに箔をつけるため「コブラ」の名前を利用したとも考えられ、スポーツマインドを持った「シェルビー・コブラ427」とは全く別のコンセプトの車だ。
マーキュリーが放ったマスタングの姉妹車クーガー【オートレイド】
(写真10-0)1936 Lincoln Zephyr V12 4de Sedan(2004-01 ブリジストン・ショールーム/国分寺)
「リンカーン」は1930年代「パッカード」「キャディラック」などと並び大型高級車の代表的存在だったが、不況の中各社が格下げ車種で売り上げを確保する中で1936年「リンカーン・ゼファー」を発表した。この車はリンカーンの販売ルートで売られたが、実質はリンカーンの普及版というよりは、フォードのデラックス版プラスαといった存在だった。4384cc V12気筒エンジンといってもフォードのV8をV12に増やした程度の平凡なもので、価格も大型「Kシリーズ」の4~5000ドルに対し1275~1320ドルと段違いに安く、日本では大型リンカーンの顧客に配慮して「リンカーン」とは区別して「リンコン・ゼファー」と呼んだ、と何かで読んだ記憶がある。「コンチネンタル」のベースとなったといわれるのが「リンカーン・ゼファー」だ。写真の車は戦前からブリジストンの石橋幹一郎氏が使用していたもので、レストアに際しては当時のタイヤが手に入らず、アメリカのファイアストーンでオリジナルタイヤのパターンを型から起こして造らせたと伺った。参考に発売当時の日本国内用カタログの一部を掲載した。
クーペ乗ってたな!懐かしい。 次は綺麗なS30、そしてコブラ コブラ いつかは、乗ってみたい!笑その他、気に入った車達!.
ACコブラ289のシャシーにピーター・ブロックがデザインした軽量ボディを載せたこの車は、1964年2月「デイトナ2000km」でデビューし大成功したので、以後「デイトナ・コブラ」と呼ばれる。1965年には「フェラーリGTO」を抑え、GTⅢ部門で「ワールド・マニュファクチャラース・チャンピオン」となっている実力の持ち主である。「デイトナ・コブラ」のエンジンにはフォードV8 289キュービック・インチ(4727cc)が使用されている。ピート・ブロックはキャロル・シェルビーがドライバーをやめて、次のビジネスに取り組んだ時からの強力なパートナーだが、僕個人にとってこの名前は1967年日本GPにエントリーしただけでレースを走らなかった幻の車「HINO SAMURAI」という日野コンテッサをベースにした物凄く格好良かったスポーツカーのデザイナーとしての印象が強く残っている。
わたしの好きな映画の車コブラ(1986) マーキュリー・クーペ(1950年型 ホッドロッド)
この型式のマーキュリー・クーペといえば、シルベスター・スタローンの映画「コブラ」での活躍が有名です。
360°ターンしながら追手に銃撃を加えるシーンなど、見事なカーアクションが次々と展開されます。
カーチェイスはなかなかの見物で、コブラの愛車は、50年代の「マーキュリー」。 ..
1938年ヨーロッパ旅行から帰ってきたエドセル・フォードは、自身のパーソナルカー構想を指示、翌1939年2月完成したのはリンカー・ゼファーのシャシーにエドセルのアイデアを具体化した素晴らしいプロポーションを持ったカブリオレだった。この車は周りで大評判となり同じ車を造ってほしいという注文が200件を超えた。そこで1940年からゼファーの生産ラインを使って市販車が生産された。最初の年は「ゼファー・コンチネンタル」と呼ばれ、まだ「コンチネンタル」として独立していない。この年クーペ54台、カブリオレ350台が造られた。写真のタウンカーはカタログモデルではなく、建築家フランク・ロイド・ライトがカブリオレをカスタマイズしたもの。
1949年 マーキュリー 映画コブラ ホイール交換 1/64 劇中車 スタローン
本間 薫(フリーランス)
1968年 東京生まれ
3歳の頃に父親が購入した1971年モデルのマーキュリー・クーガーの影響を受け、アメリカの音楽や映画、TVドラマに夢中になる。1991年よりタイヤメーカー勤務、レース用タイヤの開発に携わる。1997年にフリーランスへ転身、自動車専門誌の他、釣り専門誌やライフスタイル誌などに寄稿。形見となった父親のクーガーを現在も所有し、自らの手で3年半を掛けてオーバーホール、日常の足として使用している
1970年式トリノ・コブラ、オプション品のスポーツ・スラットとマグナム500ホイール装着車 ..
1941年からは「コンチネンタル」の扱いがシリーズ名から「ゼファー」と同格の車名に格上げされた。外見上は波切り型のグリルの外縁にフレームが付き、フェンダー上にサイドランプがついた。エドセルは素晴らしい外見に仕上がったこの車に上級の「Kシリーズ」に使われているV12 6781ccを積んでハイパフォーマンス・カーを目指すことを主張したが実現せず、性能的にはゼファー並みの平凡な車のままだった。コンチネンタルはこの年クーペ850台、カブリオレ400台が造られた。