美品 COBRA BREAK OUT ヨースコー コブラ ラフィンノーズ
1981年、チャーミーを中心に結成。やがてポン加入後にバンドが加速し、「インディーズの騎手」として、後のバンドブームを牽引。途中、活動を停止していた時期もあったが、1995年より現在まで休むことなくライブ、リリースの活動をメンバーのみで運営し続けている。現メンバーはチャーミー(ボーカル)、ポン(ベース)、ベレー(ギター)、キーヤン(ドラム/from COBRA)。
1961年・宮城県気仙沼市出身。
1962年・大阪府八尾市出身。
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DOG FIGHT!はラフィン・ノーズ~コブラ~SAと日本のメジャーなパンクバンドで活躍し続けているギタリストのNAOKIがCOBRA活動停止後に弟のTAISHOと結成したバンドだ。
自分にとってNAOKIといえば、ラフィン・ノーズでも、COBRAでも、SAでもなく、パンクの本流からちょっと外れたこのDOG FIGHT!でギターを弾く姿がまず一番に頭に浮かぶ。
少し話は脱線するが、自分と同年代でパンクロックに心を撃たれて…なんて方の多くは、リアルタイムで体験したピストルズに衝撃を受けて…とか、クラッシュの白い暴動やダムドのニュー・ローズにやられて・・・なんていうところがパンクの初期体験なのでは?と、勝手に想像するところであるが、パンクの嵐が吹き荒れた頃、ベイ・シティ・ローラーズにどっぷりはまっていた自分は全くもってそんな体験がない。
なんたってジョニー・ロットンの「ローラーズなんか糞くらえ」みたいな発言を当時愛読していたロック雑誌で目にしたのだから敬遠するのが当たり前だろう。
初めてリアルタイムで買ったパンク・ロックのレコードはトム・ロビンソン・バンドのパワー・イン・ザ・ダークネス。これもパンクのカテゴリーで語られていたバンドとは知らず、ラジオで聴いた2・4・6・8モーターウェイのメロディが頭から離れなかったからで、この後続けざまにパンク・ロックに傾倒していくこともなかったのだから。
LAUGHIN NOSE(ラフィン・ノーズ)は日本のパンク・ロックバンド。 LAUGHIN ..
そりゃそうやろ、パンクバンドは。続けるためにやるもんちゃうから。
でも、ラフィンノーズはまた違うの。「パンク」っていうバックグラウンドは当然あるんだけど、それ以上に「ラフィンノーズ」っていうものになってるからね。だから、いわゆるパンクのルールはラフィンノーズには当てはまらない。これはずっと昔からだけど、定石通りにはやって来てないし、むしろその定石を避けて通ってきてる。それがラフィンノーズで、それ1本なんだ。だから、職人さんのような感じなんじゃない? 職人さんって、続ければ続けるほどどんどんシンプルになり、そして太いものになっていくと思うけど、それは俺らも同じだと思う。
俺があるとき思ったのは、惰性でバンドをやるんじゃなしに、ラフィンノーズをずっとやるんだと。それは、俺にとって一生かけてやるに値する「仕事」だと。だから、パンクバンドが1年2年で終わるのは当然の話やねんけど、ラフィンノーズの場合はちゃうねんね。俺にとったら一生レベルの話。だから、このステージで死ねたら俺は本望やね。
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語。前回は、62歳を過ぎても年齢を全く感じさせない熱いライブで全国を回り続ける、現在の生活についてお伝えした。今回は、チャーミーを語るために欠かすことのできない存在である2人の大切な男について(全4回の2回目)。
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僕がその存在を知って虜になった1985年頃のラフィンノーズは、チャーミー(ヴォーカル)、ナオキ(ギター)、ポン(ベース)、マル(ドラムス)という体制だった。
このうち、結成時からのオリジナルメンバーはチャーミーだけだが、結成まもない1982年から参加しているベースのポンは、チャーミーとともにラフィンノーズを形作ってきた主要メンバー。チャーミーにとってはかけがえのない大事な仲間で、無二の友人であることは、ファンの目から見ても明らかだ。
だから、1989年にナオキとともにポンが脱退したときは、「ああ、これでラフィンは終わりか」と思った。その後チャーミーは新メンバーを迎えてラフィンノーズを継続させたが、1990年にはメンバーの1人が暴行事件で逮捕され、マルも脱退。
1991年にはついに解散してしまう。
ポンはラフィンノーズ脱退後、ナオキとともに関西パンクシーン出身のOi!パンクバンドCOBRAに加わり、メジャー展開して人気が高まっていた同バンドのメンバーとして、武道館のステージに立つ。
COBRAは1992年に解散したが、その後もポンは、COBRAのボーカリストYOSU-KOとともにCOW COWというハウスユニットを組むなど、充実したミュージシャンライフを送っていた。
一方のチャーミーはラフィン解散後すぐにソロアルバムをリリースしたが、音楽活動は以前より目立たなくなり、このまま表舞台から去ってしまうかのように見えた。
だが1995年、チャーミーとポンは再び意気投合し、ラフィンノーズの再始動を決意する。かつてのインタビューでチャーミーは、ラフィンノーズ再結成にあたり、「何をやってもいいんだけど、絶対にパンクロックでありたい」という意識を強く持ったと語っている。
1980年代半ばにインディーズブームを牽引し、メジャー移籍後はどんどん大きくなるフィールドで、思うままに楽しんでいるかのように見えたチャーミーだが、自分たちバンドメンバー以外の思惑がいろいろ入ってくる状況に、混乱することも多かったようだ。
再び動きはじめたラフィンノーズは、ポンが主宰する新たなレーベル「Letsrock」をベースに、ライブのブッキングからチケットやグッズの販売、CDジャケットやグッズのデザイン、ライブをする地方への移動や機材の搬入搬出などまで、すべての活動をほぼメンバーのみでおこなうという、純・インディーズ体制を築いた。
それはまるで、チャーミーとポンが大阪で出会ったばかりの頃に戻り、それを心から慈しみ、楽しんでいるかのような動きだった。
音楽性だけではなく、そうしたバンド活動にまつわる諸事の扱いも含め、新生ラフィンノーズがパンクのDIY精神を貫こうとしていたことは明らかだ。
「ポンと初めて会ったのは、19か20のときだから、もう40年以上の長い付き合いになります。それだけ長く付き合うと良い面も嫌な面も目につくけど、俺とポンって同じ方を見て同じ道を進んではいても、言うなれば“背中合わせ”の2人なんですよ。『こっちは俺が守るぜ。だから俺の後ろは、ポン、おまえが守ってくれ』みたいな。なんかそんな感じ。あいつと出会ったのは運命だと思ってるし、普通に『兄弟だな』って思う。気づけばそうなってますね。昔はそんなこと恥ずかしくて言わなかったけど、今はもう、本当にそうなんだなと思うよ」
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(Oi!) パンク・ロック (Punk Rock)バンド。メンバーはYOSU-KO(Vo.)、LINA(Gt.)、、PON(Ba.)、KI-YAN(Dr.)。幾度のメンバーチェンジがあったが、過去にはGARLIC BOYSのLARRYやLAUGHIN' NOSEのNAOKIなども在籍していた。oiパンクといえばCOBRA。青春時代にハマった方も多いのではないだろうか。そんなCOBRAのカバーはパンクの盟友THE RYDERSとのスプリットでお互いをカバーしていたり、トリビュート盤もリリースされている。こちらのトリビュート盤も若手から大御所パンクバンドまで総勢20バンドも参加しているのでCOBRAファンは必聴。そんななかおすすめしたいのはドイツのメロディックパンクバンドGigantorがカバーした「Life War」のカバー動画を載せているのでぜひ聴いてみてほしい。そしてこのアルバムにはラフィンノーズや、スターリンのカバーも収録されており日本のパンクファンをくすぐる内容になっている。 -
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1984年
NAOKI(G)はCOBRA脱退後、CHARMYとPONに誘われLAUGHIN’NOSE(ラフィンノーズ)に加入
COBRAには現GARLIC BOYSのLARRY(G)加入